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《父子应是忘年交》汉日对照 [复制链接]

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发表于 2010-10-28 11:35:41 AM |显示全部楼层
父子应是忘年交

儿子考上大学时,闲谈中提到费用。他忽然说:“从上初中开始,我一直用自己的钱缴的学费。”
我和妻子都吃一惊。我们活得又忙碌又糊涂,没想过这种事。我问他:“你哪来的钱?”
“平时的零花钱,还有以前过年时的压岁钱,攒的。”
“你为什么要用自己的钱呢?”我犹然不解。
他不语。事后妻子告诉我,他说:“我要像爸爸那样,一切都靠自己。”于是我对他肃然起敬,一下子感动他长大了。
那个整天和我踢球、较量、打闹并被我爱抚着、捉弄着的男孩儿已然倏忽远去。人长大,不是身体的放大,不是唇上出现的软髭和颈下凸起的喉结,而是一种成熟,一种独立人格的出现。但究竟他是怎样不声不响、不落痕迹地渐渐成长,忽然一天叫我如此惊讶,如此陌生的呢?是不是我的眼睛太过关注人生的季节和社会的时令,关注每一个嫩苞、每一节枯枝、每一块阴影和每一片容光,关注笔尖下每一个细节的真实和每一个词语的准确,因而忽略了一直在身边却早已悄悄发生变化的儿子?
我把这感觉告诉了朋友,朋友们全都笑了。原来在所有父亲的心目中,儿子永远是“夹生”的。
对于天下的男人们,做父亲的经历各不一样,做父亲的感觉却大致相同。
这感觉一半来自天性,一半来自传统。
1976年唐山大地震那夜,我睡在地铺上。地动山摇的一瞬,我本能地一跃而起,扑向儿子的小床,把他紧紧拥在怀里,任凭双腿全被乱砖、乱瓦砸伤。事后我逢人便说自己如何英勇地保卫了儿子,那份得意、那份神气、那份英雄感,其实是一种自享,享受一种做父亲、尽天职的快乐。父亲天经地义是家庭和子女的保护神。天职就是天性。
至于来自传统的做父亲的感觉,便是长者的尊严、教导者的身份、居高临下的视角与姿态……每一代人都从长辈那里感受到这种父亲的“专利”,一旦他自己做了父亲,就会将这种专利原原本本继承下来。
这是一种传统感觉,也是一种“父亲文化”。
我们就是在这一半天性、一半传统中,美滋滋又稀里糊涂地做着父亲。自以为对儿子了如指掌,一切尽收眼底,可是等到儿子一旦长大成人,才惊奇地发现自己竟然对他一无所知。最熟悉的变为最陌生的,最近的站到了最远处。对话忽然中断,交流出现阻隔,弄不好还可能失去他。
人们把这弄不明白的事情推给“代沟”这个词,却不清楚,每个父亲都会面临重新与儿子相处的问题。
我想起,儿子自小就不把同学领到我们狭小的家里来玩,怕打扰我写作,我为什么不把这看做是他对我工作的一种理解与尊重?他从来没有翻动过我桌上的任何一片写字的纸,我为什么没有看到文学在他心里也同样的神圣?照看过他的一位老妇人说,他从来没有拉过别人的抽屉,对别人的东西产生过好奇与艳羡……
当我把这些不曾留意的许多细节与他中学时就自己缴学费的事情联系在一起时,我便开始一点点向他靠近。

  他早就有一个自己的世界,里边有很多发光的事物。而直到今天我才探进头来。
被理解是一种幸福,理解人也是一种幸福。
从此,我不再把他当做孩子,而是把他当做一个独立的男人。

  儿子,在他孩提时代是一种含义,但长大成人后就变了。除去血缘上的父子关系之外,我们又是朋友,是忘年交。而只有真正成为这种互为知己的忘年交,我们才会获得做父子的圆满的幸福,才会拥有实实在在又温馨完美的人生。

忘年の友という父子の関係
 
息子が大学に合格したとき、何気ない話の中で費用の話になった。息子は突然「中学に入学してからずっと自分の金で学費を払ってきたんだ」と言った。
 私と妻は驚いた。生活に忙しく漠然としたまま生きてきたため、そんなことは考えもしなかった。「その金はどうしたんだ」と尋ねた。
「いつもの小遣いとか、以前からのお年玉を貯めていたんだよ」
「どうして自分の金を使わなきゃならないんだ」
まだ釈然としなかった。
息子は何も語らなかった。その後妻から「お父さんのようになりたい、何でも自分でするんだ」と言っていたことを聞いた。これを知ると息子への敬意が湧き上がるとともに、成長した息子に感動を覚えた。
 一日中一緒にサッカーをしたり力比べをしたり、からかわれて騒いだり、喧嘩したりしていた息子があっという間に遠くへ行ってしまったような気がした。人が成長するのは身体が大きくなることでも、口ひげが生え喉仏が目立つようになることでもなく、成熟し独立した一つの人格が現れるということなのだ。しかし、一体どうやって誰にも気付かれず何の痕跡も残さないまましだいに成長し、このように突然驚かせ、またよそよそしい感じにさせたのだろうのか。人生の季節と社会の変わり、一つ一つの蕾、枯れ枝、陰と光り、文章の細部の真実さとその表現のこだわりなどに、自分はあまりにも気を配ったせいか、ずっとそばにいながらも、気づかないうちに、大きくなった息子のことを見落としていたのだろう。
こういった感覚を友人に話すと、彼らはみんな笑った。元々全ての父親の心の中では、子供は永遠に「半人前」である。
 世の中の男にとって父親である経歴はみな違うが、父親である感覚は似たり寄ったりである。
 この感覚は半分は天性から、半分は伝統によるものである。
 1976年の唐山大地震のあの夜、私は土間にしつらえた寝床で寝ていた。地が震え山が揺れた瞬間、私は本能から跳ね起き息子の小さなベッドに飛び掛かり、彼をしっかりと胸に抱きしめ、レンガや瓦がぶつかりどんなに足が傷つけられようとも、じっと身を任せたまま耐え続けた。この後会う人に、自分がいかに勇敢に息子を守ってやったのかを語った。得意満面な感じと英雄感は実は一種の自分の喜びであり、父親であり天職を尽くしたという快楽を享受するということなのだ。父親が家庭と家族の守護神であるのは至極当然のことである。天職これこそ天性なのだ。
 伝統的に父親であることから来る感覚はと言うと、これはすなわち一家の長である尊厳、指導者としての身分、一段高い所からの視点と態度である――それぞれの世代が年長者からこの種の父親の「特権」を感じ取り、一旦自分が父親になれば、最後までこの特権を受け継いでいくことになる。
これは一種の伝統的な感覚でもあり、「父親文化」でもある。
私たちはこの半分天性、半分伝統の中に存在し、嬉々として、またはっきりしないまま父親を演じているのである。息子のことは何でも理解し、全てのことがお見通しであると思っていたのが、一旦大人になってみると、息子のことを何も分かっていない自分を驚きを持って発見するのであった。最も熟知していることが最も疎いものになり、最も近くのことが最も遠くにある。ふと会話が途切れ、コミュニケーションに垣根が感じられる。下手をすると息子を失ってしまうことになるかもしれない。
 人々はこの意味不明なことを「ジェネレーションギャップ」という言葉に擦り付け、更に分かりにくくしてしまう。そして、それぞれの父親がまた子供との接し方の問題に対峙しなければならなくなってしまう。思い起こしてみると、息子は小さい時から私の執筆を邪魔するのを恐れて、手狭な我が家に友達を連れてくることはなかった。どうしてこういったことを私の仕事に対する理解と尊重だと見なしてやらなかったのか。彼は机の上のどんな原稿一枚でさえ動かしたことはない。どうして彼の心の中にも同じような神聖な文学があることを見つけてやれなかったのか。彼をずっと世話してきた老婦人が言うには、彼は人の引き出しを開けたことはないし、他人の物に好奇心を抱いたり羨ましいと思ったことはないということだ。
 これらの今まで気に留めなかった細かい点を中学の時に自分で学費を納めていたことと一緒に結びつけた時に、やっと息子に少しだけ近づき始められた。
 息子はとうに自分の世界を持ち、その中には眩しく光を放ったものもたくさんある。それなのに今になって初めて見つけてやることができたのだ。
 理解されるのが幸せなら、人を理解するのも幸せである。
 この時から二度と息子を子ども扱いせず、一人前の男として見なすようになった。
 息子というものは幼い時にある意味を持っているが、大人になると変わってしまうものだ。血縁上の父子という関係以外に、二人は友人であり、忘年の友なのである。真にお互いに心を知り合った忘年の友になって初めて父子の円満な幸せ、うそ偽りのない暖かく美しい人生が得られるのである。
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